2016/12/01

思い出はいつも輝きながら、私の足元に影をつくる

どうもです~

ここのところ、選択を迫られる場面が多いなあと感じます。
二者択一といいますか、どっちもはダメよ、というような。
そういう選択をするとき、私はときどき、選択しなかったほうの未来へ思いを馳せます。

ここ数ヶ月、我が家に野良猫がやってきていて、
どうせ地域猫だろうと思い餌付けなどしていたのですが、
気づけば部屋にまで上がりこんでくる始末。
母親も私も情が移り、とうとう飼うことになってしまいました。
ペットロスの余韻を引きずりながらのこの顛末にいささかの不安を抱えながら、
飼わずに見過ごしていた未来を思うと、それもまた切なかったのかもしれません。
ひとつの命を預かるということは、そして同じように、それを失う覚悟もするということです。
またしても私たちは、終わりへの始まりを歩み出したのです。
そして、当の猫は私によく懐いて、可愛いのです。















先日は、久々に自分の時間を使える休日ということで、殿方とデートに勤しんでおりました。
寒空の下、電車が遅れたと嘯く殿方を47分待ち、不機嫌の私は彼を連れて鉱物ショップに赴きました。
そこで見つけてしまったのが、糸魚川産と称された真っ白な翡翠。
(翡翠は複数の鉱物が混ざっている場合が多いため緑色をしていて、純粋なひすい輝石は白いのです)
一目惚れでした、拳大のそこそこの質量、瞑想にぴったりだと思いました。
しかしひと月毎日牛丼特盛りを食べられるくらいの値段です。
悩み抜いて、その日は見なかったことにして店を後にしました。
しかしその夜、その翡翠のことが頭から離れないのです。
セックスフレンドと抱き合っているときでさえも、
頭の中はすべて翡翠のことでいっぱいでした。
そしてとうとう次の日、ATMから引っ張り出したお金を握り締めて、その翡翠を手に入れに向かったのです。
ようやく獲得した翡翠は透き通るように冷たく輝き、
まるで私の物になることを予期していたかのように手に馴染みました。
痛い出費でしたが、この石を買わなかった未来を思うと、それもまた心残りがあったのかもしれません。
人は簡単に他人を裏切りますが、石は裏切らない。はず。















このように、昨日から今、今から明日へ移り変わっていく、すなわち生きるということは、
多かれ少なかれ、選択の連続によって成り立っているのだと思います。
みなさんは、自らが後悔しないような選択をできていますか?
私には、その自信がありません。
ただ、後悔はしないだろうなという暫定的な確信だけはあります。
それはすべての選択において適用されていて、揺るがぬ自我とともに今を成立させています。

その選択が、いつの日か報われますように。

ではでは~