2026/04/19

平成は幕を閉じたまま


 私事だが、誕生日を迎えた。
30代も後半戦に入り、いよいよ愛嬌だけでは許されない場面が増えてきた。可愛げを失った男はどうなっていくんだろうと、周りの男を見てみる。自称するのも妙な感じだが、私はメチャクチャなのに、周囲の人たちはマトモで善良な人間が多い。40代が視界に入ってくるとやはり守りの姿勢に傾くのか、丸くなっていく人が多い気がする。そういう「ちゃんとした人生」を歩んでいる人と己を比較するのは無粋というものだが、ふとこう考えては、果てしない気分になる。私はなぜいまだにずっと、刃を研いでいるんだろうと。

 人類の苦難を解決する術は、いまのところない。すべての問題はカネで解決できるという人もいるが、それでは、私のもとに訪れる顧客のほとんどが社会的・経済的成功者である説明がつかないから、生きるうえでの経済状況と、物質としての金銭は分けて捉える必要があるのだろう。私のような生業の者は運命(選択的に作り上げる未来、とでも呼ぼうか)をある程度操ることはできるが、それはけっきょくのところ、死への道程をこねくり回しているだけにすぎない。映画、死ぬまでにしたい10のこと(原題: My Life Without Me)のように、みずからの愛の表現型を持っているか否かで、世俗的な常識では測れぬ行ないへの許容範囲というのは、豊かになっていくんじゃないだろうか。

 「何人か鏡をとりて魔ならざる者ある。魔を照すにあらず。造る也」とは斎藤緑雨だが、そもそも私たちが適切な収差で己を瞥する場面は少ない。広角のインカメラで「盛れた」顔を実際に拝んだら、さぞかし騒がしい造作なのだろう。せめて50mmのポートレイトで判断させてほしいものである。さて、私はネットの藻屑としてたくさんの魔物と対峙してきたわけだが、まだ私を私と呼べるうちに(天野月子w)、その真実の姿をしっかりと残しておかねばと躍起になっている。要するに今以上にVlogへ力を入れていこうという肚だ。ポッドキャストのほうは、ほぼ私のアシスタントになりつつある柳澤くんがかなり助けてくれているので、チャチャっとした動画くらいは自分で撮ってみようと思う。

 現在、新規のご案内を停止している鑑定も、頃合いをみて再会させようとしている。
新しい情報は随時、こちらとInstagramでお知らせするので、チェックしていただけると嬉しい。

 文字通り、春は短い。
だからこそ春生まれは生き急ぐのだろう。
その緑の、その膚のみずみずしさが有限のものだと分かっているから。




 Shine on you.

2026/03/31

Shinjuku is calling

 
 ニットを羽織っては大汗をかき、半袖を着ては震え上がる、服を間違え続ける日々を抜けたら、淡い青空に桜が咲いていた。
季節をさまよう思考はまとまりを見せ始め、私は静かに歩きだす。メタファーとしても、実際にも。過去がなければ現在もこれから先もない、言わずもがなだが、過去を振り切る潔さはときとして大切で、そして同じように、手向けの一瞥もなしに葬ったつもりの過去は、幻影となって死ぬまで付きまとう。

 一瞬と永遠は等しいがゆえに、私たちはそれに跪きたがる。

 現在にフォーカスを絞った話をすると、私にとって今年はちょっとキリがいいというか、お金をいただく占い師になって10年、AVに出演するようになって15年の節目だ。どちらもプロとして中堅選手になるわけで、頭の中では「ここまできたかあ〜」と「もうそんなになる!?」が混在している。だから何ってわけでもないし、この生業でご飯を食べていくのはほんっとうに大変だが、どうにかこうにか首の皮一枚で生きている。生かされている、といったほうが正しいかもしれない。どう考えても死が予見できる場面に何度も遭遇したが、私は毎回生存ルートに載せられる。命に優劣はないが、優先順位はある。私よりも生き残るべき人を差し置いてなぜ私が?とその都度自問自答するが、なんのことはない。これまでの自分の運命をかえりみればおのずと納得がいく。きっと周囲に重要な影響をもたらす誰かを助ける駒となるためなんだろう。私のような異端分子というか社会のバグ的な存在には、たいていそういう役回りが当てがわれるものだからだ。

 エゴとしての「私」は限りなく透明で、淡い。

 さて、きたる4月と5月は、私の誕生月と、7年の沈黙を破り再び新宿で始動したBar MAGICの周年を兼ねて、スペシャル月間ということで0時クローズだった営業を朝までやろうと画策している。去年お出ししてたいへん好評だった、年に一度しか作れない特別なハーブ酒をご賞味いただける準備もしている。
特に4月は水曜日が5回ある(1日、8日、15日、22日、29日)ので、お馴染みのかたも、まだだよというかたも、ご来店いただけたら幸甚の極みである。

 いつかきっと、なんて私には言えないしね。





Shine on you.

2026/02/17

Have you ever dreamt of a better version of yourself?


 猫を養子に迎えて1年が経った。
あっという間なようで、ようやくなようで。













 確かなことは、自分の人生に心臓の鼓動がひとつ増えるって大変なことで、片手間じゃあやってらんない。
この子と暮らしていく中で諦めたこと(香とか旅行とか)もあるけれども、それを犠牲だと感じないのは、愛情めいたものを分泌する余剰が、私の脳にまだ残っている証なんだと思う。
私はまたひとつ、自分の愛の表現型を知った。

 いみじくも、灰色の猫が、色褪せていた私の人生を鮮やかに彩っている。




Shine on you.

2026/01/20

シャイン・オン・ユー


 気がつけば西暦が変わっていた!
あけましておめでとうございます。

 20代前半に遊び半分で開設したこのブログが、形を変え名前を変え、まさかこんなにも長い間ネットの藻屑として漂い続けることになるとは、予想だにしていませんでした。
リセット癖のメンヘラ共はもっと私を見習いなさい(!)。

 正直なところ、こんな年齢まで生きていられると思っていなかったというか、生活していく力が弱いゆえ30前に野垂れ死ぬだろうと高を括っていたので、将来の展望とか、夢()とか、そんなの考える余裕がありませんでしたし、いまも明確なものはありません。
みなさんは、何年後にどうなっていたい、なんて日々考えながら生活しているんでしょうか?だとしたならすごいですね。
そんなことを言いながら、醜く老いさらばえていくのは納得いかないので、多少加齢に抗ってみたりしていたら、出役としての仕事が増えて副次的にほっこりしたりと、私は私で、世界に蔓延るルッキズムをうまいこと手玉にとって甘い汁を啜っているわけであります。

 トレーニングジムと美容クリニックの往復だけだと、ほんとうに頭がおかしくなってしまうので、適宜手を抜くことも大切です。
涅槃のポーズでポテチを貪り、B級映画を流し、ああでもないこうでもないと能書きを垂れながら猫を愛でる、そんな日も私を私と呼べるための重要な儀式的要素といえるでしょう。それは、落ち切らない程度の甘くささやかな堕落。

 こういう姿を見るやいなや、私を奈落の底に道連れにしようとする輩が手薬煉を引いて近寄ってくるのですが、私、一度死んで生き返っている人間ですよ?見くびらないでいただきたいなと常々思っているのですが、年末年始にかけては、奴隷にしてくださいと直訴してきた男がいまして、退屈凌ぎでままごとに付き合ってあげていたら、つけ上がって文句を言ってきたため「お前はただの注文が多いだけの受け身の冷凍マグロ、誰かから大切にされる喜びを知らないかわいそうな生き物」と告げて私のリングから降ろすなど、生育環境に恵まれなかった人間の駄々をまともに取り合って疲れてしまう、といういつものありがちパターンに陥ってしまっていたので、邪気を入れられぬよう振舞っていかねばと、また気を引き締めるのでありました。

 私みたいな生業の人間は「こいつどうにかできそう」と思わせるのが得意なのです。
得意というか、生存戦略の副作用としてそれが発現してしまう。同業のかたはゆめゆめ。刺されないように生き延びましょうね。

 さて、あまり年齢の話ばかりするのも鬱陶しいですが、私は今年、四捨五入すると「アラフォー」となる年齢域に突入します。
過去には「加賀優作のつくりかた」というエッセイ集を公開したことがあるわたくし、ここのところは、それからさらに経験値を稼ぎ、善行マイレージを貯め、多少の悪行で痛い目を見て、第2弾となるエッセイ集の制作に注力している次第です。重すぎず軽すぎずな、さらりと読んでいただける内容を目指しておりますので、上梓のおりには、どうぞよろしくお願い申し上げます。


Shine on you, should be so bright
かならず君のため
光がやってきた 光が輝きを運んできた
ほんとうのヒーロー 国民的な英雄の影
あなたに 私も 過剰なまでに期待をしていた