2016/09/03

You were there.

どうもです~

8月は私生活が乱れに乱れ、あまりブログの更新ができなかったので、
今月は頑張って更新頻度を上げていきたいと思います。

もう何年も前、インターネット黎明期に、ネットで拙い小説を書いていた時代があり、
その当時の作品のひとつが、ちょっとした投稿サイトの賞みたいなのを受賞して、それをきっかけに知り合った人がいたんですけど、
SNSなんてまだない、チャットとかICQの時代ですから、顔はもちろん素性も分からなくて、
知っていたのは「女性、都内在住、喫煙者」ということだけ。
彼女は私の文章をいたく気に入ってくれて、しかも音楽の趣味がバッチリ合うということで、どんどん仲良くなり、
夏休みに東京へ行く用事があるのもあり、やがてオフ会をしようという話になりました。

仲良くなったとはいえインターネット、なにが起こるかわからないと思い、かなり緊張しながら待ち合わせ場所、新宿へと赴きました。
時間きっかりに現れたのは、想像していたヴィジュアル(文章好きはナードが多いという先入観があったのです)とはまるでかけ離れた、オシャレで、ちょっぴりファンキーな女性でした。
(デニムにニーハイブーツをさらりと着こなす女性を、いまだに彼女以外に知りません。)

私の緊張を即座に見抜いたのか、彼女は開口一番、「あんた、酒飲める?」と。
言われるやいなや、気づけばゴールデン街に。「あんたどうする?わたし、ビールと日本酒しか飲めないの。」

いろいろな話をして、やがて受賞作品の話になると、彼女は急に真面目な顔になり、
「あんたね、その歳であんな文章書いてるようじゃ、三十路まで生きられないよ。」と言い、
どういうことだろうと訳を訊いても、「誰もがなにかを優しく可愛がりたいのよ」としか答えてくれませんでした。
その作品は、ピノキオから着想を得て、嘘をつくたびに足枷が増えていくという設定の短い小説だったのですが、
「あれね、その通りだよ。大人になるって、そういうことなんだよ。手枷足枷。わたしはまだそれを外す鍵を知らない。」
とつぶやいて、彼女はビールを一気に飲み干し、深く煙草を吸い込みました。
「じゃあね」と別れて、ほろ酔いと、それ以上のモヤモヤを残したまま、
コンビニで彼女が飲んでいたのと同じビールを買って、ホテルへ戻りました。

その日を境に、彼女はいつものチャットルームにログインしなくなりました。
なんだか、あの日のモヤモヤが蘇ってくるようでした。
何週間か経ち、おっ久々にログインしたかと思ったら、「○○の妹です。○○はX月X日、死にました。」と。
悲しみと吃驚と、どうして?という疑問が一気に押し寄せて、なんと返信していいのか分からず、ご愁傷様でしたとか、定型文しか入力できませんでした。
彼女の遺言には、IDとパスワードが添えられていて、チャットのメンバーに挨拶するようにと記してあったそうです。
今考えてみれば、彼女はきっと、足枷を外す鍵を自分で見つけようとしていたのでしょう。
そして、自分で自分を滅ぼすことで、枷を外す道を選んだ。

誰もがなにかを優しく可愛がりたい(Everybody wants something they can cradle)」は
私たちが共通して好きなアーティストUtadaの歌詞なのですが、
この曲にヒントがあると思います。
自分の内側に潜む悪魔的な感情を解き放ったとき、自分という枷が壊されるのではないかと。
それはすなわち自分を認めて、許して、あるいは受け入れることでもあるんじゃないかと。

私はまだその領域には達していません。人を欺き自分を騙し、足枷が増えるばかりです。
かじかむ両足を引きずりながら、獣道を歩いていくんだと思います。

ただ、彼女が亡くなったとされる9月には、あのビールを飲みながら、彼女のあの少しかなしい目をした横顔を思い出すことにしています。
だって、あなたは確かに、そこにいたから。

ハイネケンは、ちょっぴりオトナな葛藤の味。















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劇終