2024/02/06

麻薬としての夢

 
「あなたにとって愛とは?」というパーソナルな質問をときどき受ける。

愚問!と一蹴していた時期もあったが、人間というのは他人の反応によって
自分自身のことを知りたがる、たいへんめんどくさい生き物であるから
質問に対してはできる限り、私なりの言葉に置き換えて答えるようにしている。
愛に迷える人とは、共に方略を考えたい。私自身もそうであるように。

愛については、「さみしさに似た喜び」と形容することにしている。
誰かに語った身の上話が「愛のなせる行為だ」と評されるとき
すべてのエピソードに必ずその感覚が伴っているからだ。
わざわざ鷹の目で、人との関わりの中にさみしさや、剰え
そこへ喜びを見出そうとしているわけではないが
誰かを真剣に思うとき、私の心はすこしさみしくて、そして喜んでいる。
心は脳にあるはずなのに、胸の少し左、心臓のあたりが昂るのだ。

自分の名前を自ら検索し、他人が自分について言及しているさまを調べることを
エゴサーチ、略してエゴサと呼ぶが、私はエゴサを頑なにやらない。
「こんなこと書かれてますよ」と告げ口をしてくる者とも、距離を置いている。
検索せねば出て来ぬ話なぞ、醜聞と相場が決まっているし、実際そうだからである。

しかし先日、私はその禁を破り「加賀優作」という文字列を検索ワードにしてみた。

そもそも私は「キャラを作り演じる」という底意のもと活動している人間ではないし
大抵の日常や変わった話などは、このブログや各種媒体で発信しているためか
予想に反して大した悪口は書かれておらず、まあ
取るに足らない憶測が飛び交っているだけであった。

と同時に、予想を裏切らずしっかり現存していたというか
「よくもまあ何年も飽きずに私への執着を持ち続けていられるものだ」と
逆にこちらが感心してしまう女性が1名いる。いや、まだいた。
そこから私を知り鑑定に来てくださった方もいらっしゃるので
いまとなっては、なんならむしろ、感謝しているくらいだ

どんな風に書かれているかなど、無意味なのでここには記さないが
文章構成や妄想の結びつけ方、それを書き起こさんとする異様な過集中ぶりから
彼女が、いわゆる「頭がお気の毒な方」であることは一目瞭然であり
先述のとおり私は、外野から自分がなにを言われているのかに、まったく興味がないため
粘着されるに至った経緯はよく分からないのだが、おそらく元恋人と破局を迎えた
2021年あたりに「見つかってしまった」であろうと思われる。

私と共に彼女からの中傷を受けていた知人による情報提供で
顔や名前などの個人情報はいちおう、把握しているのだが
いかんせん陽性症状MAX「無敵の人」であるから、被害届も受理されないし
多方面からの訴えも徒労に終わるだろう。
そして、ああいう類の人間には魔術が効かない!

守るもの・失うものがない人って、ほんとうに、無敵なのだ。

月日は平等であるから、こちらも三十路を超えいい歳になると心持ちも変わる。
確かに、3年に渡り、根も葉もない妄想で私を貶めんとする彼女の行いは、悪質である。
だが、彼女だけでなく、彼女があのような精神状態に陥っても、なお
アクセスができてしまう、このインターネットにも、問題があるのではないか。
いまの私には、そう思えてならない。

私への誹謗中傷に時折、ほんの少しだけ混じる、彼女のノイズからは
潰えたであろう夢や、あるはずだった未来への悔恨が見受けられる。
あるいは、なりたい者になれなかった絶望、過ぎゆくがまま堰き止められぬ有限の時間。
正気まで失うくらいだ、さぞや無念であったことだろう。

「あなたにとって愛とは?」と、彼女に質問してみたくなる。

GACKT氏との妄想結婚を発表し、炎上した女性が記憶に新しい。
あの手の話題はもはやお察しというか、あんまり触れてやるなよという世界である。
文章構成はガッツリ「頭がお気の毒な方」のそれであったし(なぜああも似通うのだろうか?)
花嫁を示す欄に、GACKT氏の名が記されていたのには思わず失笑してしまったが
彼女の過去の投稿や、偽造された婚姻届の筆跡を見る限り、まあまあ
お育ちはそこまで悪くないというか、ある程度の教養はあったのかもしれないと感じた。
愛するがゆえにか、狂いゆく道すがらGACKT氏に出会ってしまったのか。

いずれにしても、ちょっと昔なら即刻、座敷牢に放り込まれるような者たちである。
哀れなものよ。

これは、あくまで個人的な見解だけれども
「いままでやってきたことにはなんの意味も価値もなかった」
悟ってしまったとき、人は狂うのだと思う。
そして、妄想を繰り広げ他者を攻撃することによってもたらされる、ドーパミンの快楽に耽溺する。

私を中傷する者は、加賀優作という麻薬の快楽に夢中になっている、というわけだ。
そして同じように、この世がおかしくあり続ける限り、私の違和感もまた、輝き続ける。

失礼な人を、正当防衛の名の下にこきおろすのが大好きな私としては
明日は我が身である。くわばらくわばら。




Shine on you.

2024/02/04

運命の五叉路

 
ここ以外の場所はなんだか

巻き戻してる映画だってひとり頷く

あと一歩前へ進めば分かるの?

それともあと一歩退がればいいの?


これは音楽ユニットglobeの「とにかく無性に…」という曲の一節だが

初めてこの曲を聴いたときの、これまでの人生の違和感が言語化されるかのような

カタルシスめいた感覚が忘れられない。

いまでも聴き返しては、その余韻に浸るほどだ。

ここまで書くとほとんどネタバレだが、映画「メメント」を観た際にも

同じような衝撃を受けた。


「とにかく無性に…」のリリースは2000年6月14日、そして

「メメント」の公開は2000年9月3日(日本では2001年11月3日)であるから

当時のエンターテインメントには「洗練と退廃の90年代の集大成」的な

雰囲気が醸成されていた気がする。あくまで、9歳10歳のガキんちょの体感でしかないが。


過去と、その連続性としての現在と、見え透いているようで不確定な未来。


宇宙の最高傑作こと、お花畑スピリチュアル界隈の方々が擦りに擦り尽くしている鉄板ネタ

「引き寄せの法則」も、よくよく紐解いていくと、実際にやらんとしているのは

引き寄せることではなく「現在の軌道を微調整していく」作業と言えるだろう。

望む未来を口を開けて待つのではなく、自らをその未来に寄せていくというわけだ。

このあたりの綾を分かっている人とは、畑違いでも話が弾む。


ところで、聡明な読者諸氏は「願いが叶いやすい人」と「叶いづらい人」の違い

あるいは、「運がいい人」と「運が悪い人」の違いと言い換えてもいい。

これをご存知だろうか?


答えは実に単純明快なのだが、人間は迷う生き物である。

迷っているときに人生に関わる大きな決定は下さぬほうが良い。

私が32年の人生経験において得た教訓のひとつだ。


答えはPatreonか、鑑定で。





Shine on you.