2026/06/20

キレイの代償

 
 いま私は済まして日々を送り、剰えやれ表情ジワが気になるだの肌の粗をどうにかしたいだのと
平和ボケした貌の見てくれを取り繕うことに執着していられているが
悪い国へ金を流したくない、となったら、その国の会社の機器や製剤は選択肢から外さなければならない。
モフィウス8(めっちゃやりたかったー!くそぅ)、ステラM22、インモード、ルメッカ、このあたりの流行機器は壊滅。
美を諦めることで醜い争いへ加担せずに済むなんて、皮肉な話である。

 私が大人気ないだけなのか、スポーツに政治が絡むのも興醒めしてしまう。
開催中のサッカーW杯での一件など、もはやボールを介した代理戦争の様相だ。
フィギュアスケート鑑賞から足を洗ったのも、国の威信めいたものや企業の利権争いを背負わされた少年少女があまりにも不憫で見ていられなくなったからだ。

 こんなに期待されることを嫌うのは、私自身にも似たような経験があるからだと思う。
私に期待を抱いてくれる人を悪者扱いするつもりはないが、期待に背く結果が出たら「なんて不甲斐ない人間なんだ」と自分を責めるし、期待に応えられても「誰かの駒として機能するしか価値がないんだ」と、これまた自分を責める。自罰癖は治らないにしろ、やはり私は放っておいてくれる人、黙って見守ってくれる人がいちばん好きだ。そういいながら、私は愛猫の一挙手一投足を把握したがり、そっちよりこっちのほうがいいはずと手出しを試みてしまう。この猫も同じ気持ちなのかもと気づくとき、私は自分の傲慢さに嫌気が差す。

 そして同じように、傲慢さこそが人間の人間たる所以なのかもしれないとも思う。
神や仏のように振る舞えなくて泣いてしまうほどに。

 ときに、ボツリヌストキシン製剤治療を始めて、なんだかんだで10年目に突入した。
コツコツ続けていくいわゆる「ちりつも治療」だが、10年もやるとさすがに周りとの差が目に見えてきたなと感じる。
不機嫌な表情を見せまいとする見栄から始めたものが、いまや、私の叶わぬ夢を間接的に満たす代替治療となっている。
日記やら丁寧な暮らしのような自己満足的な習慣は続かないけれども、基礎美容やボディメイクといった、食い扶持に直結するルーティンは意地でも続けようとする。
要するに私は、誰よりも生き汚いのだ。キレイのためならこの手を穢すことも厭わない、と。

 目的がなくても美しくあって許されるのは自然だけだと考えている。
人間くんだりが美しさを追求するのなら、その美をもって如何とす、まで予見せねばならないはず、そうあってほしい。

 鏡は悟りの具にあらず、迷いの具なり。




Shine on you.

2026/04/19

平成は幕を閉じたまま


 私事だが、誕生日を迎えた。
30代も後半戦に入り、いよいよ愛嬌だけでは許されない場面が増えてきた。可愛げを失った男はどうなっていくんだろうと、周りの男を見てみる。自称するのも妙な感じだが、私はメチャクチャなのに、周囲の人たちはマトモで善良な人間が多い。40代が視界に入ってくるとやはり守りの姿勢に傾くのか、丸くなっていく人が多い気がする。そういう「ちゃんとした人生」を歩んでいる人と己を比較するのは無粋というものだが、ふとこう考えては、果てしない気分になる。私はなぜいまだにずっと、刃を研いでいるんだろうと。

 人類の苦難を解決する術は、いまのところない。すべての問題はカネで解決できるという人もいるが、それでは、私のもとに訪れる顧客のほとんどが社会的・経済的成功者である説明がつかないから、生きるうえでの経済状況と、物質としての金銭は分けて捉える必要があるのだろう。私のような生業の者は運命(選択的に作り上げる未来、とでも呼ぼうか)をある程度操ることはできるが、それはけっきょくのところ、死への道程をこねくり回しているだけにすぎない。映画、死ぬまでにしたい10のこと(原題: My Life Without Me)のように、みずからの愛の表現型を持っているか否かで、世俗的な常識では測れぬ行ないへの許容範囲というのは、豊かになっていくんじゃないだろうか。

 「何人か鏡をとりて魔ならざる者ある。魔を照すにあらず。造る也」とは斎藤緑雨だが、そもそも私たちが適切な収差で己を瞥する場面は少ない。広角のインカメラで「盛れた」顔を実際に拝んだら、さぞかし騒がしい造作なのだろう。せめて50mmのポートレイトで判断させてほしいものである。さて、私はネットの藻屑としてたくさんの魔物と対峙してきたわけだが、まだ私を私と呼べるうちに(天野月子w)、その真実の姿をしっかりと残しておかねばと躍起になっている。要するに今以上にVlogへ力を入れていこうという肚だ。ポッドキャストのほうは、ほぼ私のアシスタントになりつつある柳澤くんがかなり助けてくれているので、チャチャっとした動画くらいは自分で撮ってみようと思う。

 現在、新規のご案内を停止している鑑定も、頃合いをみて再会させようとしている。
新しい情報は随時、こちらとInstagramでお知らせするので、チェックしていただけると嬉しい。

 文字通り、春は短い。
だからこそ春生まれは生き急ぐのだろう。
その緑の、その膚のみずみずしさが有限のものだと分かっているから。




 Shine on you.