2026/08/22

鉄は熱いうちに、冷コーは冷たいうちに


 おいしい水出しコーヒーを飲んでいる。
カフェインを摂取したいだけならそのへんのインスタントで事足りるが、自分のためにひと手間ふた手間をかけるのは、他人にも丁寧に接してみようという心が整うので、私にとっては必要な儀式的行動となっている。ここのところは私生活での動きに若干の変化があり、10年間投稿し続けたきょうの占いを休止して、新宿二丁目でお給仕をさせてもらっている。二丁目MAGIC以来のレギュラー勤務だ。どういった経緯で、なんて野暮な話はお会いした人にだけぽろぽろと話してはいるが、10年12年単位で物事は、あるいは人の人生というのは図らずとも動いていくのかもしれない。

 運を動かすと書いて運動とはよくいったもので、いままでどちらかというと地引網漁的だったスタイルから、自分の釣り具で収穫を得られる海域へ移動する勇気を手に入れた。運が良い悪いという概念があるけれども、実際のところは、ある程度は誰にでも平等に幸運は降り注いでいる。それに気づいて拾いに赴くのか、見向きもせず己の不運を冷笑するだけなのか。その違いが目に見えぬ形で厳然と存在しているだけだ。

 きょうびは、見ず知らずの人間の過去をあげつらい、正義の執行人然として石を投げる人間が生々しく可視化されてきたが、内側眼窩前頭皮質でしかものを考えられない人間がのたまう「あいつらより私は真っ当に生きてきた」という類の免罪符は、往々にして「私の人生はパッとしないものでした」という後悔の告白にすぎない(意訳: 知らん奴に変な言いがかりつけられても、気にしなくていいんですよ)。

 あなたが俯いて涙を流すことを待ち侘びるやつらに、あなたの価値を決めさせていいわけがないんだもの。

 人にはいろいろ事情がある。
どうしても他人に、剰え自分にすら優しくできない日もあるだろう。しかしそういう波があることと、それを表出させることは、別の話だ。ムスッとしていて許されるのはせいぜい20代前半までで、ペルソナMAXでもいいから上機嫌を装う能力の高さが「世渡り上手」となり、社会的通念としての「オトナ」の指標にもなる。
機嫌の良い人との会話を楽しむことは、私たちが思っている以上に自己治療として機能する場合が、おおいにある。人間は相手の反応によって、自分のことを知りたがる生き物であるし。
お酒を介した私であっても、占いを介した私であっても「あいつと喋れてよかった」と思ってもらえる人間でありたいものよ。

 自問自答しても、AIに言葉を投げても、頭がゴチャゴチャしてしまっている人は、生身の加賀と語らってみませんか?(相変わらずへったくそな営業w)




Shine on you.

2026/06/20

キレイの代償

 
 いま私は済まして日々を送り、剰えやれ表情ジワが気になるだの肌の粗をどうにかしたいだのと
平和ボケした貌の見てくれを取り繕うことに執着していられているが
悪い国へ金を流したくない、となったら、その国の会社の機器や製剤は選択肢から外さなければならない。
モフィウス8(めっちゃやりたかったー!くそぅ)、ステラM22、インモード、ルメッカ、このあたりの流行機器は壊滅。
美を諦めることで醜い争いへ加担せずに済むなんて、皮肉な話である。

 私が大人気ないだけなのか、スポーツに政治が絡むのも興醒めしてしまう。
開催中のサッカーW杯での一件など、もはやボールを介した代理戦争の様相だ。
フィギュアスケート鑑賞から足を洗ったのも、国の威信めいたものや企業の利権争いを背負わされた少年少女があまりにも不憫で見ていられなくなったからだ。

 こんなに期待されることを嫌うのは、私自身にも似たような経験があるからだと思う。
私に期待を抱いてくれる人を悪者扱いするつもりはないが、期待に背く結果が出たら「なんて不甲斐ない人間なんだ」と自分を責めるし、期待に応えられても「誰かの駒として機能するしか価値がないんだ」と、これまた自分を責める。自罰癖は治らないにしろ、やはり私は放っておいてくれる人、黙って見守ってくれる人がいちばん好きだ。そういいながら、私は愛猫の一挙手一投足を把握したがり、そっちよりこっちのほうがいいはずと手出しを試みてしまう。この猫も同じ気持ちなのかもと気づくとき、私は自分の傲慢さに嫌気が差す。

 そして同じように、傲慢さこそが人間の人間たる所以なのかもしれないとも思う。
神や仏のように振る舞えなくて泣いてしまうほどに。

 ときに、ボツリヌストキシン製剤治療を始めて、なんだかんだで10年目に突入した。
コツコツ続けていくいわゆる「ちりつも治療」だが、10年もやるとさすがに周りとの差が目に見えてきたなと感じる。
不機嫌な表情を見せまいとする見栄から始めたものが、いまや、私の叶わぬ夢を間接的に満たす代替治療となっている。
日記やら丁寧な暮らしのような自己満足的な習慣は続かないけれども、基礎美容やボディメイクといった、食い扶持に直結するルーティンは意地でも続けようとする。
要するに私は、誰よりも生き汚いのだ。キレイのためならこの手を穢すことも厭わない、と。

 目的がなくても美しくあって許されるのは自然だけだと考えている。
人間くんだりが美しさを追求するのなら、その美をもって如何とす、まで予見せねばならないはず、そうあってほしい。

 鏡は悟りの具にあらず、迷いの具なり。




Shine on you.