2022/09/25

Your life to envied.

どうもです〜

ああでもないこうでもないと藻搔いているうちに
夏の残骸をかき分けて、ちいさい秋を見つけ始める季節になりましたね。

7月は個人的に、心の深いところで新たに生まれ変わるような体験を
生々しく感じた月だったのですが、なんだかこのあたりから周囲の動きも
よりドラマティックになったというか、とにかく目まぐるしいものがありました。

それというのも、私が去年の暮れや今年の始めあたりから言い始めていた
「私は通過点」という(かなり電波なw)言説に、自分なりの答えを見つけた途端
見える景色が変わった気がして、それによるものが大きい気がしています。

個として成立することばかりに執着していた自分より
連続性の中に点在する自分のほうが瑞々しい。

意地でも意見を通すべきであろう場面と、自我など足枷にしかならぬような場面
私はその見極めが、ある日を境にぐっと上達したのかもしれません。
まあ、あくまで当社比ですけどね。

8月は、母親との休戦協定の要となっていた祖父母に節目が訪れ
祖母は曖昧になる時間が増え、祖父に至っては余命幾許もないという状況でした。

入院させず自宅で看取るのだと頑なに意志を曲げない母親は
気丈に振舞っていましたが、私には空元気に見えて仕方がなく
気分転換にと彼女を矢沢永吉のライヴへ行かせ、私と従姉妹で留守番。

豪傑を絵に描いたような男は私よりも小さくなり、しかし
私の手を握る力はかつてのままで、視線が合うと彼の口は「ありがとう」と動き
そのとき静かに、さみしさに似た温かさが私の胸に広がるのを感じました。

顔も見たくないと言われ、上等だよと啖呵を切って家を飛び出したあの日を思う。
私は、試されていたのかもしれない。

彼の訃報が届いた夜、私は友人と時間を共有していました。
大酒飲みだった彼のことだから、いまから死体を見に実家へ行くより
この辺でいい酒でも飲まないかと、それが不出来な孫にできる唯一の餞かもと
不謹慎だと断罪されるのを覚悟で友人を誘った瞬間、部屋の照明が明滅し始め
それはまるで、口のきけなくなった彼が介護ベッドから私を呼ぶときに
柵を指で弾くリズムのようで、いくつか質問を投げかけると
YESのとき、NOのとき、それぞれのリズムが光で再現され
姿は見えなくても、彼は確かにここにいるのだと、実感しました。

能動的に霊魂と会話をした初めての経験。
その夜、友人と飲んだ水割りは、祖父が作ったのかと思うほど濃かった。

「ありがとう、ありがとう」と繰り返し死んでいった祖父を
悪く言う気になれない。大嫌いだったはずなのに。
ざまあみろとでも言ってやりたいのに。
彼は、感謝と慈悲の心を最期まで失わなかったのです。

記憶を辿れば理不尽な仕打ちや心ない言葉ばかり、でもそれよりも遥かに
鮮明に思い出されるのは、屈託のない彼の笑顔や豪快な笑い声。

いろいろあったし、忘れるのはなかなか難しいけれど、あなたの孫になれてよかった。
もう痛くも苦しくもない、ゆっくりおやすみ。ありがとうね。



忘れてしまえる痛み かき集めて
その傷痕に触れよう
失くしてしまえる記憶 たぐり寄せて
そのさみしさに触れよう



9月始め、死にゆく人間との和解、生ける屍との諍いで私の精神はボロボロ。
思うことやじっくり考えたいことがあると、ふらりと旅に出る放浪癖があるのですが
私は新幹線に飛び乗り、静岡県は伊東に向かっていました。

その地で再び、霊魂と対話することになるとは露知らず。




Shine on you.