きょうびのコンピュータは、動画編集だのオンラインゲームだのと、よっぽどの処理を求めない限り、昔とそんなに変わらない。もちろん、ある一定のスペックを満たせば、の話だが。Windows7のZenbookだったかな。2回の修理を経てMacに乗り換える2019年まで現役だった。多窓癖のある私の酷使によく耐えた子だと思う。現役バリバリに稼働していた2014, 5年あたりは、風俗のシフトをほとんどゼロに減らして、占い館で受付とパワーストーンアクセサリー制作をしつつ、ゲイバーでバイトをしていた時期だ。労働というシステムにそもそも私が向いていないと気づくのはもっともっと先の話だが、いわゆる「昼職」というやつが持つ、縦にも横にも斜めにも、それこそ縦横無尽なしがらみにうんざりしていた。まあ、いわゆるブラック企業だったというのもあるが、それを差し引いても、朝7時に起きて1時間満員電車に揺られ、占い師さんたちの予約管理とアクセサリー制作を同時並行で進め、社長からは笑ってしまうようなパワハラを受け、引き継ぎもそこそこに先輩はどんどん辞めていき、同期は占いの心得も石の知識もなく、彼らが残した業務をやっつけるために残業をすれば、帰り際には定刻で切られているタイムカードを見て絶望し、その足でゲイバーのカウンターに立ち、怒りとも憤りともつかぬ感情たちを、酒を触媒に笑いへ昇華させ、酩酊で朦朧としたまま、また1時間地下鉄の旅。ここまでやって、手取りは雀の涙。ブラック企業の救いは高給、これ一点にあると思っていたのに、とんだ見込み違いだった。
ここまで読んでいただたいた聡明な読者諸氏ならお気づきのことと思うが、私はマルチタスクというやつが非常に得意だ。
まったく別の作業を同時並行的に、その質を落とすことなく進めることができる。とはいえまあ、機械と一緒である。どんなにハイスペックであろうとそのぶんの消費電力、この場合は体力か精神力か、いずれにしても疲れるわけだ。決して、自らの脳の情報処理能力の高さを誇示したいわけではない。そうでもしなければ、私は私を維持できなかったのだ。単に、生存戦略的に適応し続けた結果である。まあそのお陰で良い思いを一度もしなかったと言えば嘘になるが。これをしつつあれも忘れてはならぬと、3ヶ月で資金繰りから物件決め・内装工事・各種根回しや挨拶回りを済ませ自分のゲイバーを開店させたのも、おそらくその好例だろう。こういった手際は、傍から見たら鮮やかに映るのだろう、出資者は錬金術でも見たかのように目を白黒させて驚いていた。普通なら、バーをオープンさせるのには半年から一年はみないといけないのだから。しかし彼は、契約時私に提示してきた「出資者の存在は誰にも明かさない」という唯一の約束を「あの店は俺が出させてやった」と他店で(しかも私の古巣で!)宣い、自ら反故にして私の信用をすべて失った。いまは脱サラしてタイでホテル経営かなにかをやっているようだが、私は彼を一生許さない人リストの筆頭に書き記している。枕営業でもやったのかとか、パトロンが裏にいるから余裕だねとか、好き勝手言われ放題でも黙して堅固を貫く私を尻目に、彼奴は温暖なタイでシンハーでも飲みながら私の「有能さ」を愉しんでいたのだろうか。そう思うといまでも腑が煮え繰り返るようだ。まじないをかけて不幸を願う労力すら惜しいほど見下げ果てた人間だが、彼から唯一学んだことは、人の顔を潰すような真似は、それなりの覚悟をもってやるべきだということであろう。
話が逸れてしまったが、奇しくも、ラップトップを買い替えるタイミングと人生の景色がクロスオーバーしているような気がして、これを書き始めたのだ。
私はいま、占い館の受付係から占い師となり、パワーストーン制作どころか魔術までもおこなうようになった。身体を売っている感覚でしかなかったエスコート業は、時間を買っていただいているという考えに変わり、他人から性的な目線を向けられるのを恐れていた私はもう、どこにもいない。他人が金を払ってでも欲しがるものを私は生まれながら持っているのにも関わらず、それを活かしもしないで剰え疎ましく思うなんて、宝の持ち腐れだし、単純に、愚かだ。己の人生に対して注意散漫な者はするりと、まるでそれが正義の鉄槌かのように言い放つ、「お前は何も変わっていない」と。けれども、私はあまり気にしないというか、私を貶める切り札としては少々効力がないように感じる。どうぞ、あなたみたいな人は、激動の時代に呑まれて変わってしまっていけばいいじゃない。その暁には、「何も変わっていない私」が、もはや原型もとどめぬあなたを、あなただと認知して差し上げますよ。そんなことを、口にはしないまでも、頭の片隅のサンクチュアリに抱いている。
マルチタスクは内側でだって、できるのだから。憐憫の、別の呼び名として。