3月に入りましたけど、全然暖かくならないですね~
いやあ、なんだかんだで北国生まれですけど、寒いの大っ嫌い!
「東北の人は寒いの平気でしょ~」とかよく言われますけど、あれ嘘ですよ。
寒がりはどこにいても寒がりだし、暑がりはどこにいても暑がり。
雪の中で転ばない歩行法なら、都会の人よりは上手ですけれども。
なんといっても私は春生まれなので、ポカポカ陽気がいちばん好きです。
幸い花粉症も持っていないし、毎年4月5月は穏やかな気持ちで過ごしています。
占星術の世界でも、自分の生まれ月(自分の星座に太陽が入る期間)は、
自分らしさを再確認できる、いい時期だと云われています。
私は牡羊座だから、3月21日~4月19日、だったかな?(あいまいかよ笑)
実を言うと誕生日って、迎えて素直に「喜ばしいなあ」って感じたこと、ないんですよね。。
まあ人並みには、家族が祝ってくれたり、学校で行事があったり、友人たちがサプライズしてくれたり、
そして同じように、ひとりで迎えたり、いろいろな誕生日がありましたけれども。
誤解のないように言うと、誰かが自分の誕生日を祝福してくれている、ということに対しては、すごく嬉しいしありがたいと思うし、
他人の生まれた日を祝福するというその気持ち自体は、率直に尊いことだと感じるんですけど、
誕生日をいざ自分のこととして考えたときに、どうもしっくりこないというか、、
去年の今頃となにが変わったんだろうとか、来年の今日までになにをしたらいいんだろうとか、
うつしよ的なことばかり考えてしまうんですよね。
ともすれば、死期にまた一歩近づいただけじゃないの、とまで考え始めてしまう始末。
なんというか、お正月とか新年度みたいに、ただの節目のひとつ、という捕らえ方でしかないのかも。
死に近づいたまでは言わなくても、年上の人って往々にして、年下の人をすぐ脅すじゃないですか。
「肌の曲がり角はすぐくるからね」とか「何歳過ぎたら1年なんてあっという間だよ」とか。
ちょっとでも歳を重ねたことを嘆く素振りでも見せようものなら、鬼の首でも取ったみたいに、
「あんたその歳でそんなこと言ってたらあたしはどうなるのよ!」とか怒ってくるし。
「その歳にはその歳なりの悩みがあるんですよ」などと言い返したら最期、向こうの思う壺です。
「フンっ、小娘が偉そうに。」とか言われて終わり。
あんまり若い子をナメないほうがいいですよね。
私もたまに年下の子に言っちゃうときありますけど、
「なに言ってるの、まだまだ若いからなんでもできるじゃない」なんて言葉、お見通しなんですよ。
ただの気休めだって。ただの憧憬だって。
なんかもうそういう、年齢という比較や呪縛のポーカーから、フォールドしたいんですよね。
「年齢などというものは、ただの記号です。」と、叶恭子さんも言い切っていらっしゃいましたし。
「今の経験地のまま昔に戻れたら、どんなにいいだろう」と思っていた時期もありましたけど、
何年か前のその日に生まれて、毎年その日に生きていて、そして来年のその日も生きていたいと願う。
その繰り返しを、恵まれていることなのだと感じながら、ただ歳を取って生きたい。
その年齢に合った愉しみや学びを味わって、カッコいい歳の重ねかたもしたい。
若さとか過去の栄光だけに縋り続けるような、イタいおじさんにはなりたくない。
今はそう思っています。
そんなこんなで、もうすぐ誕生日。
今年はなにかいいことが起きそうな予感がするから、楽しみです。
ではでは~
劇終