2023/02/05

頒布用人格の形成と管理

  
同性婚に関する話題がホットですね。
加賀はいわゆるゲイの男性だけれども、ゲイライツ系の活動には消極的。
そういう活動は身綺麗な人がやるべきだと考えているから。

誰もがいろんな面を持っていて、人によって見せる側面を変える。

例えば私が持つ「ゲイの男性としての自分」は限りなく人工的で、後付け。
ゲイっぽい、とされる私の挙動や身体的特徴はすべて後天的に身につけたもので、
個人的には「葬式では神妙な顔をしておく」とか「入る店のドレスコードに従う」とか
そのあたりと同じようなレベルの教養でしかない。
メディアで見聞きするようなオネエ口調だって、私からすれば第二言語。
田舎の訛りを標準語に直す程度の楽勝チャレンジ。

私の付け焼き刃スキルは天稟なのだと思う。
大抵の他人からは「場慣れしてる」と言われ、さぞやその世界に染まっているのだろうと続く。
けれども、私には、なんにも染み付いていない。

こんな人間が、権利を勝ち取るという大義名分のもと更に擬態を重ねるのは
当事者への冒涜にしかならない。

実際、女性の権利向上を叫びながら女性を食い物にしている人間が
特定の政党との癒着や不正な資金の流れを指摘されグダグダになっているのが記憶に新しく
最近ではそれがトランス女性に飛び火して、各所でボヤ騒ぎになっている。
当事者意識のない者の声は、猿真似でしかないのだ。

自分はどこへいっても余所者。
私には少なくともその自覚がある。

自分を自分たらしめる力の源なんて、自分だけが分かっていればいいじゃない。




Shine on you.