私事だが、誕生日を迎えた。
30代も後半戦に入り、いよいよ愛嬌だけでは許されない場面が増えてきた。可愛げを失った男はどうなっていくんだろうと、周りの男を見てみる。自称するのも妙な感じだが、私はメチャクチャなのに、周囲の人たちはマトモで善良な人間が多い。40代が視界に入ってくるとやはり守りの姿勢に傾くのか、丸くなっていく人が多い気がする。そういう「ちゃんとした人生」を歩んでいる人と己を比較するのは無粋というものだが、ふとこう考えては、果てしない気分になる。私はなぜいまだにずっと、刃を研いでいるんだろうと。
30代も後半戦に入り、いよいよ愛嬌だけでは許されない場面が増えてきた。可愛げを失った男はどうなっていくんだろうと、周りの男を見てみる。自称するのも妙な感じだが、私はメチャクチャなのに、周囲の人たちはマトモで善良な人間が多い。40代が視界に入ってくるとやはり守りの姿勢に傾くのか、丸くなっていく人が多い気がする。そういう「ちゃんとした人生」を歩んでいる人と己を比較するのは無粋というものだが、ふとこう考えては、果てしない気分になる。私はなぜいまだにずっと、刃を研いでいるんだろうと。
人類の苦難を解決する術は、いまのところない。すべての問題はカネで解決できるという人もいるが、それでは、私のもとに訪れる顧客のほとんどが社会的・経済的成功者である説明がつかないから、生きるうえでの経済状況と、物質としての金銭は分けて捉える必要があるのだろう。私のような生業の者は運命(選択的に作り上げる未来、とでも呼ぼうか)をある程度操ることはできるが、それはけっきょくのところ、死への道程をこねくり回しているだけにすぎない。映画、死ぬまでにしたい10のこと(原題: My Life Without Me)のように、みずからの愛の表現型を持っているか否かで、世俗的な常識では測れぬ行ないへの許容範囲というのは、豊かになっていくんじゃないだろうか。
「何人か鏡をとりて魔ならざる者ある。魔を照すにあらず。造る也」とは斎藤緑雨だが、そもそも私たちが適切な収差で己を瞥する場面は少ない。広角のインカメラで「盛れた」顔を実際に拝んだら、さぞかし騒がしい造作なのだろう。せめて50mmのポートレイトで判断させてほしいものである。さて、私はネットの藻屑としてたくさんの魔物と対峙してきたわけだが、まだ私を私と呼べるうちに(天野月子w)、その真実の姿をしっかりと残しておかねばと躍起になっている。要するに今以上にVlogへ力を入れていこうという肚だ。ポッドキャストのほうは、ほぼ私のアシスタントになりつつある柳澤くんがかなり助けてくれているので、チャチャっとした動画くらいは自分で撮ってみようと思う。
現在、新規のご案内を停止している鑑定も、頃合いをみて再会させようとしている。
新しい情報は随時、こちらとInstagramでお知らせするので、チェックしていただけると嬉しい。
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文字通り、春は短い。
だからこそ春生まれは生き急ぐのだろう。
その緑の、その膚のみずみずしさが有限のものだと分かっているから。
だからこそ春生まれは生き急ぐのだろう。
その緑の、その膚のみずみずしさが有限のものだと分かっているから。
Shine on you.