2024/12/22

Alien(Not Alone)


(本文は、会員限定コンテンツPatreonへ投稿したコラムを転載したものです。
こちらの記事のレポート、旅ブログのような内容となっております。)

前夜: 
 台湾へ行くために荷造りをしている。
しかし、これを書いているということは、その通り、まったく作業が捗っていない。私はいわゆる荷造りと荷解きが苦手だ。数日の旅行でも、引っ越しかと思われるほどの荷物を抱え、しかも一度も使わぬまま帰宅したりする。自覚はしているが、心配性なのだと思う。備えあれば憂いなし、を地でいくタイプだ。

 そういった己の性質の問題より、むしろ、訪問する国の法律を心配する必要がある。
私はこんな涼しい顔で劇薬に指定されている薬を服用していて、その薬が、国によっては麻薬として規制されている場合があり、没収あるいは入国拒否となる。ひとつ海を越えれば、どこかの国では、私はドラッグ常用者扱いというわけだ。台湾は調べた限りでは厳しい規制はないようなので、怪しい行動さえとらなければ入国できそうである。

出発前: 
 荷造りは本腰を入れてしまったら意外とすんなり済み、私の心配事は「無事に飛行機へ乗れるのか」へと移行する。12時台の便だから、電車で行くと通勤ラッシュ真っ只中にスーツケースを引きずって乗り込むことになる。ここはおとなしく観念して、送迎バスを予約した。座って小一時間で到着。次からはずっとバスにしよう。遅刻という最悪ルートは回避したものの、早く着きすぎて時間を持て余すという、これはこれでモヤモヤする展開になってしまった。大きい荷物を預け、超過回避のために目一杯移し替えたショルダーバッグを抱えながら、羽田空港をさまよっている。日本の治安はかなり信頼されているのだろう、ベンチを全身で使って眠っている人がちらほらいる。スーツケースを5個も6個も従えて現れる旅行者は、どんな人なんだろう。ボロボロのリモワを滑らせる若者、どんな使い方したらそんな凹むのよ。日焼け止めを塗りたくるご婦人、充電エリアでの驚異的なタコ足配線、ハイパーインフレを起こしている飲食店。空港は日本であって、日本じゃない。そんな気がする。こちら側とあちら側を隔てるという意味では、ある種霊的な特異点ともいえるかもしれない。私はdepartureとして、あちら側へ行く。1時間の時差を越えて。

初日: 
 はじめての台湾はLCCで桃園空港だったが、今回はANA(正確にはエバー航空)で松山空港だ。お金の力ってすごい、機内食まで出ちゃって。だからといって滞空時間がどうにかなるわけではない。気圧の変化に弱い私は空中で軽く失神しつつ、朦朧としたまま入国審査をパスした。パスポートに捺された判を見て再認識する、ビザなしで90日間も滞在できるなんて。日本人の外面の良さはこういうところで効力を発揮するのだろう。
 違う場所に来たのだという感覚は肌と匂いで分かる。東京には東京の、台北には台北の、それがある。強いて言うなら、台北は伊豆半島に似ている。フィリピン海プレートがもたらす力かもしれない。旅は感覚でいけば事がうまく運ぶ、とは私の信念だが、感覚に身を委ねすぎるとときたま選択を誤る。ホテルへ向かうバスに乗車したつもりが、まったく真逆の方向へ向かう便に乗ってしまい、私はどんぶらこっこと桃園市まで運ばれたのだった。けっきょく桃園空港から台北市内へ向かうのと同じ手間をかけて、日没と共に滑り込みセーフでチェックインを済ませた。儲けるという意味において、日本も導入したらいいのにと思うのは、選択肢の多い交通系ICカードだ。キーホルダー状の品からキャラクターイラストやアイドル写真の特殊印刷が施された品まで、カードそのものに希少価値が付与されているのだ。まあ私などは、ハローキティの50周年限定カードとかいう製品にまんまと500元も支払い、それに加えほぼホテル籠りか会社の送迎で移動だというのに300元もチャージしてしまった。いいお客である。日本においては、ガジェット界隈で海外製品に対して必ず言及されるのは「お財布ケータイ対応か否か」という項目であるから、物理的なカードを何枚も持つより、一つの端末にさまざまな機能が凝縮されているのが好みなのか。PASMOも現在は無記名の物理カード販売を停止しているそうだから、この流れはより加速していくのだろう。理論的には、護符や呪符なんかもデジタルに置き換わっても発動する。ただ、物質的要素を排除しても、それがある・またはあったと仮想する脳の処理能力は相変わらず求められるし、なんなら負担が増す。私たち日本人は、疲れたいのだろうか。
 宿泊するたびに思うが、五つ星ホテルというのは、経費で落ちるとはいえ、身の丈に合っていないというか、むしろ「これだけの待遇を与えているのだから、相応な働きをしてもらうよ」という無言の圧力を感じる。まあ、その場に応じた態度や立ち居振る舞いを身につけることができるから、社会勉強にはなるのだけれども。予約名を告げた私は即座に日本人だと見抜かれ(おそらく漢字4文字だから)、なぜか芸能人と誤認され、写真を撮ってくれとスタッフたちに取り囲まれてしまった。日本にいても混血かどうか訊ねられるくらいだ、私のような北方系の顔立ちは南国では珍しいのだろう。雪で肌が灼ける国から、日差しで肌が焼ける国へ。私たちは似ていて、やはり違い、そして似ている。
 夕食は中山北路という日本人街の出店で軽く済ませた。チンホージャー(めっちゃ美味しい)!その胃の幽門も開かぬうちに、監督から着信、食事の誘いであった。彼女の独特の間にはいつも驚かされる。いわゆる「お呼ばれ」であることは承知の上で、私はのこのこと、これまた五つ星のレストランへ着いて行くのだった。後日台湾人カメラマンから教わったのだが、台湾の格言には「台湾で旅行者が太って帰らなかったら、それはもてなしが足りていないということだ」というのがあるそうだ。要するに、接待の際は極上の品をたらふく食べさせる。それだけ食文化に自信があるのだ。私は摂食障害を自力で克服したフードファイター、美味しいものを美味しく食べることにかけては天稟がある。福建と四川の融合だろうか、唐辛子と山椒の効いた赤いスープの海鮮鍋と、棗がゴロゴロ入った漢方牛肉鍋。台湾の海老は、このままアレルギーになって食べるたびにエピペンを使ってもいいと思うくらい美味しかった。瓶1グラス3の注文ミスで瓶3グラス1で来てしまったビールを飲みつつ、私はやんわりと本題に切り込む。数あるモデルのなかで私を呼んだからには、なにか底意があるはず、私になにをさせたいのかと。やんわりとを意識した割にはズバッといったなという感があるが、高額なギャラを約束されているわけでもなかったので、そこはある意味強気になれたのだと思う。彼女の意図を要約すると、AV女優をプライドパレードに参加させるための緩衝材としてゲイのモデルを使う、という実に戦略的なアプローチであった。切れ者とはこういう人をいうのだろうなと感じた。さて、そこで求められるのはショックアブソーバーとしての私の力量である。外見、態度、発言、思想、行動、そのすべてにおいて、日本と台湾、ストレート市場とゲイ市場、男と女、普遍と異端、自由と制約、権利とタブー、これら両天秤のボーダーラインを踏み外さぬように歩き切らねばならない。これはある意味禁じ手というか、私は「誰の敵にもならない道化た姿で、正論を坦々と言う」という方略で攻めることにした。頭の中で、持ってきた服たちを組み合わせ、髪のスタイリングをシミュレーションし、メイクの乗りを考慮して睡眠時間を逆算する。
 消化器と脳が各々の動きを粛々とこなすなか、私の心と身体はゲイストリートに連れ出されていた。カップルだろうか、男性二人が手を繋ぎ愛を囁き合い、キスをしている。セックスショップにするすると出入りする男女、一見、無法地帯特区のようにも思えるが、入国直後から感じていた「他者を排斥しない許しに似た温かい雰囲気」の答え合わせをしているような気分だった。自由。私は完全なる余所者の外国人として、それを誰よりも大きく思い知ったのだ。これも監督の狙いなのだとしたら、彼女には一生足を向けて眠れない。

2日目: 
 出役の朝は早い。パパッと済ませてハイいけます、なんてことはどんなに端役でもあり得ない。考慮されるかは別として、見てくれの準備それ以上に、心の準備が必要なのだ。私は夢も見ず3時間ほど眠って、するりと目覚めた。これはいわゆる臨戦態勢、数年に一度くらいしか発動させられない「鬼のコミュ力モード」が起動している証だ。眼光鋭く、人の心を読み、空気を察知し、適切な言動を提示し、ときには座を操る。私はこの力を、物事を良くする方向にしか使わないと決めている。この日はプレス向けに会場をまるまる貸し切って、会見をおこなう予定だった。入場するなりその規模に驚く。だが圧倒されてはいけない。席順の指示を受けると、4名の女優さんを私ともうひとりが固める形だった。これは差し込みの妙が試される布陣である。添え花がメインを食ってはいけないし、顔を潰してもいけない。プライドパレードの趣旨は昨晩リサーチしてあるし、性的少数者でもないAV女優がなぜプライドパレードに?そしてお前ら男二人は何者なんだ?おそらく記者たちが明確にして欲しいのはそこであろうと踏んで、あらかじめ回答は複数用意しておいた。
 詳細はYouTubeに上がっているのでぜひ本編をご覧いただきたいが、初めての公の場での露出にしては、なかなかいい流れやパスを出せていたように思う。会見の趣旨をこちら側が把握しきっていないというウィークポイントを、初めの段階で補強しつつ、私たちは境界線を引きに来たわけではない、という明確な意図も提示できた。なにより、誰かが期待する答えだけでなく、自分の意見を言うことができたのが、一個人として尊重されている実感があり嬉しかった。「外っ面のいい日本人気質」は、使いようによっては、ああいう立ち回りも可能にできるのだ。
 とはいえ、この会見によって追加の取材依頼が入り、当初予定していた九份ツアーをキャンセルせざるを得なくなったのは、すこし歯痒かった。

3日目: 
 会見後の接待ツアーでしこたま飲んでしまった私は半分二日酔いで、でも「鬼のコミュ力モード」は維持したまま眼を覚ます。台湾の酒は濃い。酒豪がやたらともてはやされる文化は、私にとっては好都合であったが、スタッフの皆さんに酩酊した姿をお見せしてしまったのが少々悔やまれる。すこし荒れ気味の肌をやや厚めに塗り衣装、いや装束をまとう。かなり緊張している。しかし頭では分かっている、ハラハラとワクワクは一緒のもので、主観的にどう処理しているかに過ぎないということを。だったらもういっそ、楽しんでしまおう。そう決めたのはいいのだが、山車に載ってからの記憶が途切れ途切れであまりない。コンドームを配るというなけなしの小技が、チーム全体に伝わり、みなセックス製品をPRし始めたのはひとつの成果かもしれない。気づくと裸だった。緊張と、想像を超える人の数と熱気と湿度で、私は段階的に服を脱いでいたのだろう。メタ視点を使う、私はどう見えている?よそ行きの顔つきになる。カメラに収められた私の姿はどれも遠い目をしていた。遠い目をするときの人は、内省している。私はなにを考えていたのだろう。ただ、大切にされる喜びを伝えたい、という意志は頑ななまでに通していたように見受けられる。それは、大切にされなかった経験がある人にしかできないことだと思うから。
 パレード後の熱気はそのままに宿へ戻り、シャワーで汗を流し、顔と髪を軽く片付けて小綺麗な服に着替える。絶対に打ち上げだろうし、私ひとりで五つ星だったなら、演者全員が揃えばお偉いさん方も登場してくるに違いないと読んだ。ビンゴ。オーナーやらそのパートナーが勢揃い、私はちょうど彼らの間にすこんと案内され、台湾式の飲みニケーションの洗礼を受けた。次々と出てくる高級な鉄板焼きは非常に美味だったが、私は彼らに対して粗相があってはならないという、パレードとはまた違った緊張で背筋が張っていた。私が猫背でなくなるのは、こういう場だけだ。幸か不幸か、私は顔に酔いが出ない。今回はそれが吉と出た。”Cheers”では少し飲み、「干杯」は一気飲みであると知ったのは、上物のワインをすべて空けてしまってから。私はお偉いさんから”You’re a good drinker!!”と、褒めているのか嫌味なのか解釈に苦しむ謎のお墨付きをいただき、二次会に連れていかれそうになるのを監督に引き剥がされ、ホテルへ運ばれる。
 解散がテキトーなのは台湾独特の感じなのだろうか、三人ずつタクシーに乗り込んだのだが、女優さん、そのマネージャーさん、私、という謎のリーベンレントリオができてしまった。運転手さんはもちろん台湾人である。私は助手席からあの手この手で指示を出すも、酩酊下である。こういうときは妙な勘がはたらくもので「酔っ払いだしちょっと遠回りしてやろうか」という意図を感じた私は、断固としてナビアプリを明示し続け、それを回避した。並行して台湾華語でなく台湾語の表現をいくつか出したのが効果的だったのかもしれない。その国を知るにはやはり、酒と言語だ。

4日目: 
 この日は15時に雑誌媒体の取材が入っていた。モーニングを済ませ悠然とコーヒーを啜っていたら、11時集合との連絡。嘘でしょ、あと40分もない。写真撮影ありって言ってたよね。あのときの瞬発力で身支度ができれば、日々はもっと暮らしやすいのだろうなと思う。記者会見のときとは少し趣向の違う、通訳さんを交えた対話形式での取材、「同性愛の男性として」という部分に強くフォーカスされた内容だった。そこでの回答がどこまで使われるかは分からないが、できるだけ正直に率直に、自分の意見も交えつつ答えたつもりだ。「なにを言わないか」のほうに意識が逸れてしまう悪癖が出ることもなく、のびのびと話せた。どれくらいのびのびとしていたかは、Instagramにアップしたグラビアアイドルを真似てふざけている動画をご覧いただければ一目瞭然である。
 午後からは完全にフリーで、私たち日本ゲイチームはホテルへ直帰。別行動タイムになった。異様に昂った新奇探索性はデーティングアプリを起動させる「これから会える人募集、私のホテルで」、即座に応答、目を見張る男前。セックスもそこそこに、お互いに意気投合。喋っている時間のほうが何倍も長く、そして楽しかった。私と同じ、キスをしながら喋るタイプ。笑窪が印象的な、かわいらしい人。連絡先を交換し、帰国した今もやり取りを続けている。ユーモアは言語や国を超越できるということを、再認識した。私のどうしようもないひねくれは、切り口をひとつふたつ変えればジョークに化けるようだ。しかしそれは、どんなに気軽な冗談も、洒落にならない悪口になってしまいかねないということと表裏一体でもある。言葉でご飯を食べている身として、深い教訓を得た。
 先約があると惜しみつつ別れた後は、別件で台湾に来ていた友人と合流し、士林夜市へ。彼とは「誕生日が一緒」というご縁でお付き合いが始まり、私がmixiで高二病を発症していた時期を見守ってくださった、人生の大先輩。彼がドラァグクイーンとしてALI PROJECTのライヴで妖艶に舞う姿を恍惚としながら眺めていた17歳の私へ、33歳になったら、ナイトライフをご一緒させてもらえるよ。
 西川口で育った私に耐えられないゲットーはない、と謎の自信を持っていたが、士林には日本のそれとはまた違った独特の寂しさや怨みのようなものが漂っているように感じられた。怒りとは違った、湿り気のある情念。単純に湿度が高いせいかもしれないし、歴史的な背景に由来するものなのかもしれない。いろんな顔立ちがあるのは、それだけいろんな血が交わり、そして流れたからだ。そういった台湾の暗部を、ナイトマーケットは忘れさせないようにしているんだろう。
 チャンポンせずビールだけで作られた心地よい酩酊のままホテルへ戻り、私は溜めに溜めた洗濯物をコインランドリーへ持っていく。洗濯をやりだしたら、それは旅行ではなくもはや生活なのではないか。私は長期滞在する先々でそう思う。洗濯と乾燥を待つだけの1時間。両替のために買ったコーラがまったく冷えていなくて笑ってしまったが、台湾では冷たい飲み物を飲むという感覚が一般的ではないようだ。基本的に冷やされていてもちょっぴり。氷水なんて注文しようものなら、でたよリーベンレンの意味わかんねえやつ、という奇異な目で見られる。
 深夜の街はひっそりと静かで、厚物はちょっと生乾きで、ゴキブリはナチュラルに大きく、歩道の謎の段差にコケまくり、原付に何度か轢かれかけながら、私はしっかり台北を歩いたんだった。オフ用に持ってきたスニーカーを一度も履かず、厚底靴で。

最終日: 
 帰りのフライトは夕方だった。それまで完全に自由時間だと高を括っていた私が急きょかけられる招集に焦る、これはもうこの旅のお約束だということで、私は最後の力を振り絞って荷造りを終えた。ほんとうに振り絞ってしまって、全員集合の食事会では、途中で寝落ちしてしまい、すこし無愛想に映ってしまったかもしれないのが申し訳ないが、あれは低気圧と「鬼のコミュ力モード」が尽きてしまった成れの果てなので、ご容赦いただきたい。帰りのフライトでは見事に失神。私に「快適な空の旅」が訪れることは未来永劫ないんだろうなと思う。耳抜き、とやらのコツが、私にはどうも掴めないのだ。監督を見送り、最終バスに乗った。自分の住む街まで直行便があるというのは、恵まれた境遇だと思う。何回も乗り継いでようやく、というコースを知っているからより強くそれを意識する。
 ”Counting your blessings” という表現、まあ「己がいかに恵まれているかを意識せよ」といった意味になるんだろうが、今回の旅で一貫して私の心の根底に巡っていた思いはそれだった。不幸を賢しらに語るより、発見した面白さを楽しむほうが良い。今回の計画に携われたことをありがたく、そして誇りに思う。そして同じように、私のアダルトのキャリアはひとつの集大成を迎えたのだとも思う。そんなことを書いていたら、占いのほうで大きなお仕事が決まった。古い友人が縁を繋げてくれたのだ。ここでも”Counting your blessings” が主題のように繰り返される。友は恵みだ、人はひとりでは生きられないのだから。たとえ失くしても、大切にすることを学ぶし、大切にされることを感じれば、誰かが大切にしているものも尊重できるんじゃないかな。なんて、理想を語ってみる。けれども、少なくとも私は、そういう人として誰かの目に映りたいな。




 Shine on you.