予期せず、顎にヒアルロン酸を注入した。
2cc(シリンジ2本分)は凹みを平らにするような量ではないので、しっかりと造形もされている。顔というのは面白いもので、欠点で欠点を補っている顔立ちもあれば、各パーツに整合性を持たせることでより引き立つ側面もある。私の場合は、後者の要素が強い顔であるとカウンセリングで指摘された。左右差を解消したり、引き算的な考え方に固執していた私は目から鱗というか、「パーツが全部うるさいんだから、顎もしっかりあったほうが良いよ」と歯に衣着せぬご指摘をいただき、それもそうだわと承諾し、そうして仕上がった顔は、触ったのは顎だけなのに、2, 3割こましに見えるほど洗練されたんだった。顎ヒアルロン酸にはボトックスの併用が欠かせない。プロテーゼ然り、顎部への充填物はオトガイ筋の緊張による圧迫で、骨吸収の原因となるからだ。アデノイド顔貌からコーカソイド級のEラインを目指したようなレベルでなければ(とんでもない大きさのプロテーゼや大量の注入でなければ)特に気にしなくてよい、という説もあるが、異物で骨膜上に立体を作っていて、骨は圧力によって骨吸収を起こす性質があるのだから、骨生成にも少なからず影響はあるはずで、それは完全に無視できないリスクになり得ると私は捉えている。しかし私はその日はヒアルロン酸注入のみの治療で帰宅した。31日にHIFUによる肌治療を予定しているからである。筋膜層や真皮層に超音波で熱を加えるHIFUは、熱によって効力を失ってしまうボトックスを先にやってしまうと、2週間は施術を空けねばならなくなる。なぜ2週間なのかは不明だがそういうプロトコルなのだろう。同時施術やHIFU照射後の注入であれば問題はなく、というわけでこの日は全顔ボトックスも同時に予約していて、顎への注入ももちろん依頼してある。なぜ見切り発車的に顎の形成をやったのかと問われたら、もう、カッとなってやったとしか申し開きできないが、強いて言うのであれば、HIFUは頬や顎下の引き締めを得意とする機械であるから、下顎のシェイプが定まっていれば照射の算段も立てやすく、そして効率的に事が運ぶかも知れぬ、という期待があった、というところか。実際、輪郭形成用の製剤2ccがもたらす肉の移動や表情への影響は侮れぬものがあり、唇の位置が上がり、上の歯を見せる表情を作った際に寄るほうれい線も減るほどであった。そのぶん口角脇に追いやられた肉というか脂肪、所謂ポニョというやつだが、こいつを重点的に叩けばいいわけだ。
私のような顔立ちは若干痩けているほうが収まりが良い。ふっくらとした健康的な肉付きを目指した時期もあったが、派手な目鼻立ちと見事に喧嘩してしまい、凋落したヴィジュアル系バンドマンのような印象になってしまった。不健康そう・妖しい・日本人離れ・蠱惑的。これらのイメージに寄せておけば、実際にそうかはさておき、美という認知はおのずと私に付与されるのだ。美しさなどという曖昧な概念と縁の深い我が人生を、抱きしめたいほど祝福したくなる瞬間もあれば、寝具を投げ出し寝付けぬほど呪う夜もある。見世物のさだめ。しかし私は、それを甘受する。
今回お世話になったのは鼻の真皮移植をやっていただいたところとは別のクリニックなのだが、件の後、若干残った斜鼻(鼻筋が曲がっている状態)について相談したところ、「こんくらいなら僕は手付けないっていうか、逆にいじった感なくて良いし、いや、ましにはなると思うよ?けど何百万かけてもシンメトリーにはできないよ。真正面からまじまじ顔見ることなんかないんだから(笑)、気にしてるの自分だけ。人間は非対称性に可能性を見出すんだよ」との回答。入室早々「良い顔だねえ〜」と評してくるような先生だったので、贔屓目というか好みの系統の顔立ちにたまたま私がかすったせいもあるんだろうが、普段は苦手なはずの他人からの断定的な物言いに、私は不安が霧散するかのようなカタルシスを得てしまった。「左右差は良いものだよ、見る角度によって想像力を掻き立てられる。君面白いね。」これは私の顔の、先で述べた、欠点で欠点を補っている要素のひとつなのだと思う。
この先生は「口周り絶対切ったらダメだよ。口角挙上、人中短縮、とんでもないよあんなの」と、顔にメスを入れることへの感覚が私と似ていて、それゆえにスッと意見に納得がいったのかもしれない。二重の左右差についても、「どうしても気になるなら今のラインと修正前のラインの真ん中くらいで埋没したら?3点くらいでガッツリ留めて。また切るかは取れたら取れたでそのとき考えればいいんだから」とあくまで低侵襲派。この先生は信用できる。そう感じた。ただ、忖度がないというか、顎への注入後、仕上がり確認の際の「ほら、顎に主張持たせて、唇でかい、鼻でかい、目でかい、額でかい、一貫性でたでしょ、外人だね」といった言い回しは、引き算整形の呪縛に囚われていた身にはボディブロウのように効いた(でかいでかい連呼しないでw)が、この先生の揺るがぬ哲学をそこに見た気がして、理不尽な暴力と、ツッコミとしてのドツきの明確な違いを再確認する機会にもなった。
洒落のつもりだろうと、どんな事情があろうと、暴力はだめ。
さてそんな大晦日から始まるビューティー休暇の前に、もうひとつイベントが待っている。
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