「なにもしない」をする、というのは言うは易しで、自ら望んでその状況に身を置いていないというのも相まって、非常に退屈である。
先日の暴行事件のショックも落ち着きを取り戻し、鼻の怪我の抜糸も完了した。私はやはり、逆境に強いのかもしれない。タダでは起きない生き汚さというか、生来の反骨精神が疼くのだろう。顔の腫れがするすると退いていくように、この見知らぬ痛みも、心から消え去ってくれればいいのに、などと感傷に浸るのもやぶさかではないが、90年代初期製造ロットがこの時代まで稼働すると、優先順位というものが変わってくる。哀れな被害者を演じて周囲の同情を引きサンクションを代理させる、なんて猿芝居で事がうまく運ぶのはせいぜい20代まで(まあ、20代の頃も私はずっとなにかと戦ってはいたのだが……)。「ドラマばかり引き起こしては話題作りをする人騒がせな人物」という烙印を押されないためには、みずからの手で落とし前をつけるしかないのだ。もちろん、水面下で。
私は今回の出来事を悲観していないし、むしろ好機だとすら感じている。猫を迎えんと貯えてきた金がごっそり治療費へスライドし、その猫と破談になったことに関しては憂鬱を感じたが、こんなのは縁物だ。あの子とはご縁がなかった、それだけの話である。手鏡を見て、自分の似姿を抱き、築き上げた虚構に身を隠しても、自分の孤独から逃げず、友達を大切にしましょう。そういう教訓のようであった。
こんなところには決して書けはしないが、得をした側面もあった。ハイリスクハイリターン、いや、ノーペインノーゲインというやつだろう。そのごく一例と言っては少々強引な気がするが、いわゆる恋愛運というやつが爆上がりしている。私が真っ先に不要と判断し諦め切り捨ててきた分野に、ものすごい高さの下駄が履かされてしまったようだ。どうせワンナイトで終わるだろうとのらりくらりとかわしていたつもりの殿方と意気投合。自宅に招きスコッチをやるような仲になってしまった。まだ本名も明かしていないのに、なんなら、整形していることも。打ち明ける間もない急展開だったといえば聞こえがいいが、適切なタイミングを逃してしまったのが正直なところである。とはいえまあ、本名はさておき、整形している云々など、関係していくうえで支障をきたす可能性がある場合、たとえば唇に硬めのヒアルロン酸を入れてしまってキスをするときの感触に違和感があるかもしれないとか、鼻水が垂れるのに気づかないのは鼻を整形したせいで冬は感覚が麻痺するからだとか、ボトックスを注射した直後だから今夜は一緒にサウナへ行けない、などなど枚挙に暇がないのだが、そういう際にさらりと発表してしまおうと思う。どうせ子を作ることも産むこともできぬ身体であるし、そういう性分だ。形質の遺伝的な心配などしなくてよいが、「天然モノだと思って購入したダイヤが実はラボグロウンでした」という事実に目を瞑ってくれる相手であることを祈るしかない。いや俺は100%天然でないとダメなのだと言われてしまったら、それまでの話である。
どこまでを身だしなみの範疇として、どこからを整形と見なすのかは永遠のテーマであると思うが、まあ私などは骨を切ったり削ったり皮膚を剥いで入れたり抜いたり、「別人に変身するのではなくパーツを微調整しただけ」などとていのいい言い訳はできるけれども、首から上のパーツはすべて竣工し完了検査も通っている。自分でいうのもおかしな話だが、原型がひどく不細工だったと知らされるより、微妙に垢抜けるよう計算してやったと告げられるほうが薄気味悪いなと思う。だってそっちのほうがよりナルシシスティックというか、自己像への偏執性を感じる、まあ、実際そうだからぐうの音も出ないのだけれど。何に対しても無頓着でこだわりのかけらもない人間より、夢中になれる対象に全力で向き合える人のほうが、私の目には魅力的に映るのもまた、事実だ。
みなさんには、譲れないこだわり、ありますか?
もしあって、それが他人を巻き込んで迷惑をかけることのないものであるなら、大切にすべきだと私は思う。
Shine on you.