私の使う機械類はバッテリーの持ちが良い。というより、電力効率を肌で感じ取っていい塩梅に使うのが、人よりも多少上手いだけなのだが。スマートフォンなどに搭載されているリチウムイオンバッテリーの場合、過充電と過放電そしてパススルー(要は、100%まで充電せず、20%以下にさせず、充電しながらの使用を控える)にさえ気をつけていれば「電池持ちの良さ」は簡単に実感できる。「一度ゼロにしたほうが長持ちする」とか「100%にしないと容量が減る」とか、さも本当っぽい都市伝説をもって私の説明を遮る人がたまにいるが、おそらく彼らは高校で化学を学ばなかったか、すでに忘れてしまったか、目の前の現象にそれを見出そうとしないのだろう。
このような、私より学歴もお育ちもよろしいはずの人の「ペーパースコアを実生活に落とし込めていない例」を見るのは、非常に歯がゆい。SEXを例にしても、摩擦係数、力の分解、動水圧の伝搬……と、物理の教養が詳らかになってしまう。剰え、私のようにポルノ出演の経験があると、「性のインプットがAVしかなかった人」や「多面的に肉体構造を捉えられない人」を前にして、「他者の興奮を誘うであろう動きが必ずしも自分の肉体にとって自然な動きとは限らない」という真実にそっと、神妙な面持ちでヴェールをかける場面が幾度となく訪れる。これは果たして、「夢を売る仕事なんてだいたいそんなものだ」と一蹴できるテーマであろうか?
虚飾の鮮やかさは、それが紛い物(日常ではまず起こり得ない事象)であると認知され初めて輝きを得るのではないか。私が虚構を作るときにまず意識するのはそこだ。ほとんど一緒にして、少しだけズラす。このズレに、人は心酔し熱狂し、時には我を忘れる。そう。自覚のあるなしはさておき、なにが嘘か、ほんとうはみな頭では分かっているのだ。分かっているからこそ「AVの見過ぎなんじゃない」といった自己の性への類型化に迫るような指摘に苛立つし、その矛先を「水差すようなことを言うな」と幻影側へ向ける理不尽さにも憤るのだ。望まぬ誹りを受けるくらいなら笑ってやり過ごすほうが、お互いにダメージが少ない。私のような人間はずっと、嘘をつき続けてもお咎めなし、というわけだ。むしろ、ベラベラと真実を盾に開き直られるほうが迷惑なのだろう。
対をなすのがこのいわゆる「ド正論」なのであろうが、きょうびはこちらを用いて通り魔的に冷や水を浴びせる動きを善とするような雰囲気が肌で感じられ、私は空恐ろしい思いでいる。かくいう私も正論パンチなどといって、馴れ馴れしく接してくる者に「あなたは無礼だ」と感想を告げることはあれど、二の句に生々しい真実の文言を追加する気などさらさらない。「お育ちが知れますね」、「インターネットに向いていないのでは」、「恥という概念が無いんですね」などと続けてしまった日には、瞬く間に私は加害者とされ血祭りに上げられることだろう。傍観者でいるために知恵が必要なのだとしたら、被害者になりきるのには狡賢さが要るのだ。真の弱点を隠しつつ弱さだけを燻らせることは、生存戦略的にかなりの高等技術だからだ。それは、鮮やかな嘘をつくのと同じくらいに。
自らの歪さに酔い狂ってしまうより、互いに似通った表現型を探るほうが、社交としては平和的であるし、最終的に美味しい経験をしたり、面白い景色を眺める機会も増える。他人を道具や手段としてしか見なさないような者には、到底理解できない観念であろうが。
友人の誕生日。変わりゆく浮世に、変わらぬ友情を願いながら。
Shine on you.