2023/09/08

橋のない川

私が育った土地、川口市(正確には旧鳩ヶ谷市なのだが)では
ここのところ不法クルド移民が話題になっている。
就労ビザなしで土木建設業などに従事し、毎夜路上で飲めや歌えやの大騒ぎであると。
約15年あの土地で生活していた人間としては
なにもクルド人だけを引き合いに出す話でもあるまいに、と一笑に付していたが
実際にソーシャルメディアへ投稿されている動画を見たところ、かなりイケイケ。
あの傍若無人さは、八幡木の不良といい勝負である。
例え川口が不法クルド移民に侵略されようとも、せいぜい上青木〜安行あたりが関の山だろう
と読んでいたがあの野蛮さを見る限り、動きが全く予見できない。
川の隔たりで世界が変わるあの街には、芝川の加護を祈るのみだ。

川は古来から文明を育んできたが、それと同時に、人と人を隔てたり定義する役割も担ってきた。
かつて「陸の孤島」と呼ばれた鳩ヶ谷は、川口との合併前から
家族単位で中国やフィリピンから移り住む人が多かった。
お互いの結束も強く、地元の人間とも平和的に共存していた。
「川沿いの張さん」とか「川向こうのマリア」といった具合に
特定の川が通り名になることも多々あった。
自分たちのテリトリーにある川に関連する人間は、無条件で仲間というわけだ。
反対に、忌み嫌うべき人間につけられるあだ名もあったが
とてもここには書けないようなひどいものばかりである。

いまでこそ東京23区内在住の私だが、このあたりに住んでいても
「あそこはもはや◯◯人街だ」「あの地区は余所者が多い」「あの一帯をうろつくのは危険だ」
といった類の話はよく耳にする。
そのたびに幼少期を過ごした秋田、そしてつい最近まで住所を置いていた川口を思い出し
どこも変わらんなと諦観に膝から崩れ落ちそうになる。
都会にだってマイルドとはいえ当たり前に差別はあるし、田舎へいくほど露骨に放たれ響き渡る。
それだけのこと。
日本はどこまでいっても、極東の島国なのだ。

川口に話を戻すと、そもそも、埼玉南部に越してくる人間は
いわゆる「訳アリ」が多く、外国人も日本人も国籍がどうこうよりもどちらかといえば
ひっそりと暮らすのか、近隣同士で支え合うのか
生活スタイルを明示することが重要視されていたように思う。
過干渉も村八分もない「みながうっすら余所者」でいられる最大の特区。
私にとって川口はそういう場所だった。

「埼玉県川口市赤羽」と揶揄までされる東京都北区赤羽が
クルド移民の侵攻を防げている理由の何割かは
中国系をはじめとする移住歴の長い移民の鋼の結束と、荒川の加護であるとみている。
どんなに隅へ行こうと、そこにある荒川という境界線が示すのは「東京都と埼玉県」、行政だ。
(川口草加・足立紛争にも同じことが言えるだろう。あの諍いにまたがるのは毛長川である。)

余談だが、鬼束ちひろの「焼ける川」という曲をご存知だろうか。
「君」と「僕」の精神的な隔たりを夕日に染まる川になぞらえて
君という向こう岸へ渡る橋がない不条理、すなわち神の不在を
ストリングスとピアノのみで歌い上げる「ザ・鬼束」なバラッド。
歌詞だけを読めばもの悲しく難解で、それこそ
解釈しようとかかるものを隔絶するような曲なのだが
私はこの曲に救いを見出してしまう。
隔たりこそが、大切に思う存在をそれたらしめているのだと。

こちら側とあちら側では、彼岸花の咲く色すら変わる。
私が私であるように、あなたもまた、あなたなのである。



とまあこんな感じで、お前は占い師・AVモデルじゃなかったのかよ!?
というような謎エッセイを垂れ流してしましましたが。。
Twitterが混迷を極めソーシャルメディアジプシーが大発生している今
ちまちまとしたお気持ち表明文章はメルマガという形で配信しようかなと画策しております。
(もちろんこのブログはずっとゆるゆる継続します)

エロ動画個人配信が流行ればレーベル専属になり、Youtubeが流行ればラジオを始め
多重在籍が流行れば出稼ぎ専門に振り、とメインストリームに意地でも乗らないことで
お馴染みのわたくし、加賀優作の第七感〜セッティエーム・サンス〜は
「次はメルマガだぞ」と静かに囁いているのです。

占いやエロスの宣伝にもなっていない、またはあまりにもパーソナルな話題
いにしえでいうところの「お目汚し」?は
別にここじゃなくてもいいかな、という感じ。
Twitterとかで出していたノリをどこかに移植したい、それだけの動機です(笑)

まだ詳細は決まっておりませんが、水星が順行に戻って気温も落ち着いてきたら
ちょいちょい動きをつけていきたいですね。
ラジオみたく満月に始めようかな(あんな好き勝手ラジオが10月で1周年!恐ろしい)。




Shine on you.