あらゆる邪気を振り切るため一切を事後報告とする、ということで、以下の文章は2月4日から前日にかけて記されたものであることを、予めご了承いただきたい。
私とソーシャルメディアで繋がっている方々ならお分かりのことと思うが、去年一昨年あたりからずっと「猫を飼いたい」と発言してきた。去年からは特に猫種まで指定して、願いを口にしてきた。少々遠回りになったものの、それが叶う算段が整った。こういうあたり、私は腐っても魔術師である。
もっと昔から私と繋がりのある方は、私が特定の名前を呼び続ける夢見を経験しているのをご存知のことだろう。
さみしさに似た喜びに包まれた温かい場所で、愛すべきものの名を口にする自分の声。明確にその名が判明したのは去年の10月だが、その日の投稿はいまでも消さずに残している。今回、里親として迎えることになった猫の名であったからだ。その夢を見始めたのは、ちょうど新宿二丁目にバーを構えた時期なのだが、その猫は2016年生まれ。私の中で、点と点が線になっていくような感覚をおぼえた。夢は日に日に明瞭になり、その結末まで見届けてから覚醒するまでになった。
予知夢なる概念を的中率という側面から語るならば、私は黙して堅固、なにも語らずこのさみしさに似た喜びの赴くがままに、生きるべきなのだろう。
無自覚に人の士気を下げるというか、水を差して興醒めさせる類の人間がいる。
シラフとトランスの狭間で常に生き、それでいて飄々としている私のような人間にとって彼らは、「否定的な顕在意識」として機能するのだろう。本人たちの自覚の有無など知ったことではないが、傍から見ていれば「どうしてそうも他人の幸福を素直に喜べないのかねえ!?」と耳を疑ってしまうような言葉を、歓喜に火照った心へ冷や水を浴びせるかのように、言い放つ。往々にして彼らには「悪意」というものがない、いやそれ以前に、「言葉には感情が宿る」という概念をそもそも理解していない。おそらく脳の器質も関係しているのだろうが、「言葉を文字通りにしか解釈できない人たち」といったところか。平易に使いたくはないが、言霊と呼ばれるような考え方とは無縁なタイプ。そういう人間は、他人の顕在意識のダミーになりやすい。集団心理と呼ばれるものもその一種であろう。
こんなことを言われた!腹が立つ!!なんて、我がサンクチュアリであるこのサイトで展開する気などないし、「人の気も知らないで(笑)」と俯瞰的に流せる程度にはオトナの対応とやらも身につけたつもりだ。えらいぞ、男33歳。
怒りに繋がる前段階の「イラッ」で大抵の戯言は霧散していくのだが、私は知的好奇心から、「どうしてそういうことを言うの?」と相手を問い詰めて反応を見てみたくなる。私の愛を試したんだから、私だってあなたの思考回路を試しますよ、これでおあいこ。という、私の悪癖のひとつだ。どのみち、薄ぼんやりとした私の顕在意識の一面として刹那的に描画されている人格と向き合うのは、マインドフルネスのひとつの発展形としては、やっている内容は大して変わらないのだから、見知らぬ他人から私の知らない私を見出す瞬間には、心躍るものがある。しかしほとんどは、攻殻機動隊でいうところの「ゴーストハッキングされた者たち」でしかないから、投げかけるクエスチョンも、叩きつけるエクスクラメーションも、ただ虚に消えるのみだ。
先述の通り、私を攻撃してくる際の彼らは、言葉が不自由である。どの類の不自由さかというと、文字は読めても行間が読めないタイプ。社交辞令を間に受けたり、ジョークが通じなかったりする人たちだ。「社会」という言葉に壮大なシステマティックを感じるのか、マクロの集合体を意識するのかといった解釈のずれはさておき、言外の意味に重きを置く日本語でやり合う舌戦において、彼らを相手にするのなら、かなり悲惨な末路を覚悟せねばならない。彼らは私と対峙する時だけそうなるのか、生来の、精神性の高い人へ依存する性質が言語感覚を鈍麻させていくのかは、正直知ったこっちゃないが、彼らの、無邪気に放つ一言が相手を失望させ、知らず知らずのうちに孤立していく様を見るのは、ある意味気の毒でもある。
ひとりで踊る、醜い操り人形。
これはあくまで自論だが、どんなに無神論や無宗教を自覚し強調する人にも、心の拠り所がある。それは美しく神聖に、その人の心の中へ根付いている。美徳(virtue)とでも言い換えるべきか。ネアンデルタール人より脳の小さい私たちホモ・サピエンスが生き残ったのは、この「美」の感覚が備わっていたからだといわれている。
私は、信念をそっと支えてくれる人と、大義名分を盾にそれを挫こうとしてくる人の区別を明確に知った。ショックだったし、不安に苛まれて多少落ち込んだりもしていたが、実際、いま、現実世界の私は、ベッドでくつろぐ猫を横目にこの文章を入力している。私はこの猫に、果たされることのなかった愛情を注ぐのだろう。あの夢の結末を、頭の片隅に思い描きながら。
探していた温もり
静かに さみしさに似た喜びが 胸を打つ
獅子座の子と、獅子座の満月に。
Shine on you.