2016/01/31

内なるパッセージ

どうもです〜

寝起きがつらい寒さが続きますがみなさまいかがお過ごしでしょうか。
私はといえばここのところアンニュイな感じで、恋愛運に恵まれないなあ〜と痛感しています。
お隣のお店のママが「ママやるようになると男なんかできなくなるわよ」と言っていたのですが、
ここからさらに恋愛運がなくなるなんて、、由由しすぎます!

ここで山の神の話をひとつ。

今は昔、我が埼玉県には三峰山という霊山がありました。
最近はめっきり行かなくなりましたが、幼い頃は祖父母に連れられてよく登ったものです。
夜に家を出て中腹で車中泊をし、昼に山頂にある三峯神社でお参りをするのが定番コースでした。

ある秋の夜明け前、助手席で眠っていた私は風に揺れる木々の音で目が覚めました。
フロントガラス越しに見える山稜からは今まさに太陽が顔を出さんとしているところです。
すると私の目覚めを待っていたかのように大きな風が吹き、紅葉が目の前に、人、
いや天女のような形をなして舞い上がったのです。
朝日を翳しながら舞うそれはとても神々しく、幼心に神の存在を感じました。

昔は今、私は無職・精神病・大失恋の三重苦に喘ぐ生活を送っていました。
心の中の限りあるものを明け渡して初めて衣食住が確保できるような生き方に嫌気がさしていたのです。
発作的に起こした自殺も未遂に終わり、自暴自棄になっていたある日、
ふとあの山へもう一度行こうと思い立ちました。
何を願うつもりでもなかったのですが、いざ三峯神社の境内に足を踏み入れると、
堰を切ったように感情が溢れ出てきました。

「恋愛なんてしたくない!男なんていらない!健全な精神とまともに食える仕事が欲しい!」

怒りにも似た抑圧を吐き出しきり、憑き物が落ちたような顔で神社を後にし、
中腹にくだると、息吹のような風が吹き、紅葉が舞い、あの天女が目の前に現れたのです。
過去の再現です。神の不在に打ちのめされていた私は、カタルシスの涙を流さずにはいられませんでした。

霊感やスピリチュアリズムには疎い私ですが、この体験を通じて、
幼い日にあって今忘れていたものを思い出したような気がします。
それは、目の前のものをあるがまま受け入れる素直さです。
情報が蔓延る世界で生きているうちに、シンプルなことや大切な人のことでさえ、ノイズを混ぜて捉えてしまいます。
余分な雑音に耳を貸す必要はないし、私はそれに振り回されていることにすら気づいていなかったのです。

それからはいままでの停滞が嘘のように仕事が決まり、病は寛解し、悪縁も切れました。
そう、恋愛運と引き換えに、、(笑)

魔術師の友人によると、運には総量があるそうです。
今持っている運を100としたら、健康に60、金運に30、恋愛に10というように、
有限のものをいくつかに割り振っているだけなのだとか。
だからこの法則が三峯神社の件に適用されるのならば、私の恋愛運はなにか大いなる力によって、
ごそっと金運または仕事運に全振りされたということになります。

そら4年も彼氏できないわけだわ!
ダメだこりゃ

お後がよろしいようで。。。